コープふくしま 県内のブランド豚を応援!(2)

2012年7月19日

コープふくしまでは、2012年3月から、麓山高原豚(はやまこうげんとん)の取り扱いをスタートしました。今回は2011年3月11日の東日本大震災から、これまでの復興への歩みと生産者の思いをお伝えします。

 

◆東日本大震災で生産農家は減り、被災後しばらくは仕上げ用の専用飼料が入手できず

 2011年3月11日の東日本大震災の被害で、もともと14戸あった麓山高原豚の生産農家は12戸に減ってしまいました。南相馬市で生産農家をしていた麓山高原豚生産振興協議会の会長は、津波によって豚舎や豚もろとも流されてしまいました。幸い命は助かったものの、養豚を再開するのは難しい状況です。また、もう一軒南相馬市にあった生産農家は、福島第一原子力発電所から11㎞の場所にあり、避難地域に指定されたため、養豚を断念せざるをえなくなってしまいました。

福島県南部にある天栄村で麓山高原豚の生産を20年続けている内山福雄さんは、「震災で被災し、長年続けてきた養豚ができなくなった仲間たちの姿を見て、かける言葉が見つかりませんでした」と振り返ります。

内山さんの豚舎は幸いにもダメージがほとんどなく、飼料を通すパイプが少し曲がった程度だったといいます。しかし震災直後、石巻にあった飼料工場が津波によって被害を受け、飼料の生産が不能となりました。仕上げの60日間専用の飼料を与えなければ、麓山高原豚として認定されません。全国各地から飼料が届けられましたが、市場へは通常の豚として出荷せざるを得ない状況が2カ月ほど続きました。

 

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麓山高原豚生産振興協議会の副会長である

内山福雄さん

 

 

 

 

 

 ◆生産者の声を受け、コープふくしまは復興のため支え励ましています

 内山さんは福島の生産者の気持ちを代表して語ってくれました。「どんなに努力して、おいしいものを作っても、福島県産というだけで、なかなか食べてもらえません。放射線量の検出がなくてもです。私たちの一番の励みは、おいしいといって食べてもらえることです。それが無くなった今、福島の生産者は、やる気を失いつつあります。」

その言葉を受けて、コープふくしまの店舗部次長地産地消推進担当の根本茂さんは「福島県は一次産業で成り立っている県です。農業の復活がなければ、福島の復興はないと思っています。コープふくしまに今できることは、生産者を支え、励ましていくことです」

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                                  コープふくしま 根本茂さん

 

 

 

 

 

◆JA全農福島では休耕田の再生を進め、生産者を支援

同じ福島県内でも、津波で家を失ったり、汚染がひどく農業を断念せざるえない人々もいます。また、生産者の高齢化も進んでおり、年齢を考えると、新たに農業を一から始めるのも難しいという人も多くいます。

 

JA全農福島の畜産部販売課の石黒武史さんは、「JA全農福島では、休耕田の再生を進めています。農地を失った人などに、やる気があれば農業を続けられるチャンスを与え、地域を活性化させる試みです」と語ります。

 

 

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 JA全農福島 石黒武史さん

 

 

 

 

 

 

 

 

◆「安全管理をしながら、おいしい食品を作り続ける」思いが必ず伝わると信じて

 

現在、コープふくしまの地元農産物(旬采市場)の供給高は前年の70%ほどです。まずは、その土地で作られたものをその土地で消費する、本来のあるべき地産地消の姿に戻すことを目指しています。そして、福島の農産物の信頼を回復し、首都圏などでの低迷した消費を増やしていくことが求められます。

 

「私たちにできることは、自信を持って安全管理をしながら、おいしい食品を作り続けることだけです。その思いは、消費者の方にも、必ず伝わると信じています」と生産者の内山さんは力強く語ってくれました。

 

もともと福島は、有機栽培が盛んであるなど、こだわりを持った技術力の高い生産者が多い場所です。消費者をうならせる、本当に美味しい農産物や畜産物を作り続けてきました。福島の農業の復権が、福島の真の復興につながっていきます。