「三陸産生わかめの復興に向けて(4)」
2012年2月27日
◆「CO・OP三陸産生わかめ」の製造工場かわむらの復興レポートです。今回は第四回、工場再開後に明らかになった課題についてです。
●6月の工場再開の後、見えてきた課題
「工場が出来上がっていくのを見て、みんなの気持ちももとに戻っていきました。実際、女性従業員からは『だいぶできてきたね』『もう始まるね』という言葉を聞きました。モチベーションが上がってきたのは確かだと思います」。
6月の本社工場での塩蔵わかめの生産再開は、従業員にとってもひとつの区切りになり、うれしさもひとしおだった。だが、それだけで気持ちがもとに戻れるかといえば、そう簡単なものではない。
熊谷さんは震災後、残った本社工場でわかめ製品の製造再開に向けて奔走した。同時に、新しく建て直すことになった工場を飛び回る日が続いた。かわむらでは、砂子加工場と、岩手県陸前高田市の岩手工場を新設する計画が進んでいた。
「落ち込む暇もないほど忙しく働いた」と、熊谷さんは自分自身の感情は抑えて仕事に没頭したが、問題は工場の一線で働く女性たちだった。
確かに、本人たちはけがもなく無事だった。だが、家族を亡くした人、家を失った人は少なくない。震災前は陽気だった人が、黙り込むようになったり、ふつうに働いているように見えて、突然、ふさぎ込んでしまうことは少なくなかった。
「人間ですから、思い出すなといっても無理なこと。思い出して言葉に出す人もいれば、出さずに静かになるだけの人もいます。でも、やはりわかります。そのあたりは気をつけて見ていて、何とか気持ちを和らげられないかと、声をかけるようにしました」(熊谷さん)。
塩蔵わかめの生産が始まり、それが例年以上に忙しくなったことはその点、良かった。仕事に追われれば、少しでも震災を忘れられる。だが、震災のショックが癒え始めても、次には、被災した人、しなかった人の間の温度差など、新たな問題も見え始めた。
●希望の象徴となった工場の建て直し
そんな中で希望の象徴となったのが、建て直す工場だ。本社近くの砂子工場と岩手県陸前高田の冷蔵施設は、早々に新しく工場を立て直すことが決まり、5月には図面を描き始めた。そんな矢先、
「『工場、また、やるんですか?』」と聞かれて、『うん、やるよ。もう一回、工場、建て直すよ』と答えた時でした。女性従業員から、『今まで以上に、いっしょにがんばっていきましょう』」と言われたんです。その人は家が被災していました。本当にいろいろな出来事があったんですが、そのことが印象深かったですね」(熊谷さん)。
工事が始まったのは7月。作業の合間を縫って、みんなでその様子を見に出かけた。その度に熊谷さんはどのような工場になるのかを丁寧に説明した。徐々に出来上がっていく工場の姿が全員の希望になった。