協同組合の歴史
協同組合運動のきっかけとなった産業革命
協同組合の歴史は、19世紀のイギリスにさかのぼります。
イギリスでは世界に先駆けて産業革命が起こり、生産が飛躍的に増大しました。しかし一方で、工場で働く人々は低賃金・長時間労働を強いられ、常に失業の不安にさらされていました。
また、混ぜ物の入った商品や目方の足りない商品を高い価格で売り付けられるなど、みじめな生活をしていました。
そんな生活に耐えかねた人々の間で、お互いに手をつなぎ自らの生活を守ろうという協同組合運動が生まれました。
「ロッチデール公正開拓者組合」の設立
1844年、イギリスの工業都市マンチェスターの北東にあるロッチデールという町で、織物工など28人の労働者が、自らの手でより良い社会を生み出そうと「ロッチデール公正開拓者組合※」を設立しました。
彼らは、1年がかりで1人1ポンドを積み立て、同年12月、倉庫の1階に最初の店を開きます。このとき、売場に並んだのは小麦粉、バター、砂糖、オートミールの4品だけでした。
同組合は、1.購買高による剰余金の分配、2.品質の純良、3.取引は市価で行う、4.現金取引、5.組合員の平等(一人一票制)、6.政治的・宗教的中立の原則、7.組合員の教育促進、などを運営原則として定めました。これは「ロッチデール原則」と呼ばれ、その精神は今日の世界の協同組合原則に受け継がれています。
「ロッチデール公正先駆者組合」という訳語もあります。
協同組合の世界への広がり
ロッチデール公正開拓者組合に影響されて、イギリス国内では各地に協同組合が設立され、連合会も結成されました。この協同組合運動は、1800年代後半にヨーロッパ各国に広がっていきます。1900年代に入ると、当時のソ連などの社会主義国、アメリカ、アジア、オセアニアなど、世界中に広がり、協同組合は万人のものとして定着していきました。
日本の生協の歴史
日本においては、明治初頭に経済書や新聞でロッチデール公正開拓者組合のことが紹介されたのが始まりで、それに倣い1879年東京に共立商社・同益社、大阪に共立商店といった消費組合が誕生しました。しかし、これらの組合はマスコミのリーダーや実業家が組合員であり、出資金も高く、社会実験的なものであったことから短命に終わりました。
現代につながる生協の歴史は大正時代に始まります。
1921年に現在のコープこうべの前身となる神戸購買組合と灘購買組合、1926年に現在の大学生協の前身となる東京学生消費組合、1927年に東京に江東消費組合などが設立されました。
このような生協の誕生の中心となった人物が“生協の父”といわれる賀川豊彦です。戦後、協同組合運動の復興を目指して、日本協同組合同盟(日本生協連の前身)が1945年に設立され、賀川豊彦が初代会長に就任しました。1951年に日本生協連が生協法(1948年制定)に基づき設立され、その初代会長も務めました。
- 賀川 豊彦 (1888~1960年)
- 社会運動家。労働者や農民の困窮した状態を憂い、救済運動を行いました。友愛による協同組合運動の必要性を訴え、購買や医療生協、共済、信用組合などの創設に尽力しました。