「三陸産生わかめの復興に向けて(1)」

2012年2月 8日

◆「CO・OP三陸産生わかめ」の製造工場かわむらの復興レポートです。今回は5回にわたって生協と製造工場かわむらのつながりと復興の様子をレポートします。

 

●「CO・OP三陸産生わかめ80g」は組合員に人気の商品

1905(明治38)年に果実と鮮魚の缶詰加工を始めたのを手はじめに、乾燥わかめ、かつお節など取り扱い品目を広げ、現在は業務用のイクラ、わかめ、めかぶなど水産加工品の製造を行うのが、宮城県気仙沼市に本社を置くかわむらだ。中でもわかめは、従来、生産者が個人で加工していたものを、かわむらでは塩蔵して大量に保存・取り扱う技術を早くから採り入れ、取扱量は東北でも指折りの企業に数えられる。

 コープ商品としては、2009年4月から塩蔵わかめのパック入り商品「CO・OP三陸産生わかめ80g」の販売を開始し、翌2010年6月からは「CO・OP三陸産わかめ120g」を、また、2011年1月からは「CO・OPめかぶ」を、そして、同年2月からは「CO・OP三陸産塩わかめ80g」の供給を始めていた。

●3月11日、工場が流される様子を山の上からみていました

震災当日、乾燥わかめなどを加工する砂子工場(気仙沼市の唐桑半島)と砂子第二加工場にいた従業員を裏手の山へ避難・誘導したのが、かわむらの加工品部総括課長の熊谷隆広さんだ。

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(かわむら加工品部総括課長 熊谷さん)

「山の上から工場が流される風景を従業員全員で見ていました。何名かはしゃがみこんで立つことができないでいました。気力がすっかりなくなってしまったんです」

 土地柄、津波を想定した避難訓練は以前から行っていた。だが、目の前で進む光景は想像を遥かに超えたものだった。今しがたまで働いていた職場が、湾から溢れ出た津波でいとも簡単に押し流されていったのだ。

 砂子加工場と本社とは車で数分の距離だ。ふつうならば歩いても15分もかからない。だが、海沿いの道路は水没してしまったため、裏山へ避難した従業員25人は農道をたどり、約1時間かけて本社へたどり着いた。20人は女性だった。

 本社では事務所、第一工場、第二加工場の従業員も集まり、砂子からたどり着いた従業員と合流して、全部で80名ほどになっていた。

 震災当日、わかめの初水揚げの様子を見るため、工場を回っていたのが、取締役事業部長の川村潤さんだ。陸前高田から帰る途中に被災し、何とか本社に帰り着くと、80名の従業員の点呼をとった。砂子と本社にいた従業員は全員無事とわかった。

翌朝、何とか帰宅できた人、避難所に残った人、それぞれの長い避難生活が始まった。