仙台白菜の復活に復興への想いを重ねて

2011年9月22日

戦前は生産量で全国一位だった「仙台白菜」の生産に取り組む

白菜は夏蒔き・秋蒔き・春蒔きに大別され、四季を通じて市場に出荷されます。一年を通しての生産量では、205千トン前後の茨城県と長野県がトップを争い、この2県だけで全国の45%を占めています。宮城県は2007年実績では12千トンに満たず、全国シェアも1.3%に届きません。

しかし、歴史を紐解けば、白菜といえば宮城産という時代がありました。1895年、日清戦争に従軍した日本兵が中国から持ち帰った種子を宮城農学校に寄贈し、そこで20年近い歳月をかけて品種の維持に成功した松島純2号は「仙台白菜」の名前で知られ、戦前までは全国で一位の生産量を誇っていました。

戦時中、交雑のせいで品種が劣化し、戦後は他の品種が登場し、「栽培が難しい」「柔らかくて傷がつきやすい」といった理由で敬遠され、仙台白菜は市場から消えてしまいました。

近年、仙台の伝統野菜として見直され、震災前、みやぎ生協では地元の明成学園高校が育てた仙台白菜を、販売まで生徒たちが関わる食育の取り組みを行っていました。

 

20110922sanchi3.jpg 20110922sanchi2.jpg

 

<定植を行う宮城県農業高校・明成学園高校の生徒たち>

 

仙台白菜を復興のシンボルにしよう

仙台白菜を生んだ宮城農学校は、その後、宮城県農業高校に名前を変えました。3月11日の震災に伴う大津波は、仙台平野の多くの産地とともにこの高校も飲み込んでしまいました。

震災からの復興を目指し、みやぎ生協が呼びかけた食のみやぎ復興ネットワークで、塩害にも比較的強い仙台白菜を復興のシンボルとして取り上げることを提案したところ、津波の被害を受けた沿岸の5農協がこの声に応え、作付けを行うことを決めました。

 

9月11日、仙台市より南へ10Kmほどの宮城県名取市高舘川上東北畑の畑に、3,000を超える松島純2号の苗が植えられました。この苗を育てたのは宮城県農業高校の生徒たちです。生徒たちは避難先である亘理高校で苗を育ててきました。

この日は、宮城県農業高校に加え、明成学園高校の生徒・教師21名が、地元のJA職員や食品メーカーの社員などと一緒になって、定植(トレーで育てた苗を畑に植える作業)を行いました。

 

 

20110922sanchi1.jpg 20110922sanchi4.jpg

<宮城県農業高校の生徒が避難先で育てた仙台白菜の苗>  <生産者の吉田さん>

 

生産者の吉田さんは、この取り組みについて「復興に向けてひとつの起爆剤になればと考えて立ち上げたプロジェクト。栽培は大変だよ。でもあえて厳しい白菜に挑戦した」と言い、明成学園高校の高橋教諭は、「震災前は食育の推進として仙台白菜に取り組んでいたが、震災後は新しい故郷をつくる役割があると思っている。仙台白菜が生まれた100年前の歴史をひもときながらこれからの100年を積む思いで育てていきたい」と意気込んでいました。白菜はみやぎ生協での販売の他に、復興を支援する有志のメーカーでも様々な加工品としての利用を企画しています。

この日、植えられた白菜は様々な人と思いを繋げています。このサイトでも、冬の収穫に向けて、この取り組みを継続してお伝えする予定です。