復興に取り組む生協からの声〜生協にできること〜 【第15回】震災から1年を迎えて〜被災地3県・生協組合員理事座談会〜 被災地を支えた、生協の底力

震災から1年を迎えるにあたり、被災地3県の生協組合員理事にお集まりいただき、震災直後の様子やこれからに向けての思いを語っていただきました。

「何かしたい」気持ちから組合員活動が始まった

司会を務めてくださった、みやぎ生協理事長・齋藤昭子さん。

齋藤(司会・みやぎ生協):2011年3月11日の東日本大震災から1年になります。震災直後、地震と津波により情報が途絶え、ライフラインも断絶しました。そんな状況の中、「何かをしたい」という気持ちから、組合員が集まって、各地でさまざまな活動が行われました。皆さんのところでは、どんなことに重点を置いて取り組んでこられましたか。
飯塚(いわて生協):食料のストックが少なくなる中、「在宅避難者に食料をお届けしなければ」という使命感に駆られ、移動販売で仮設住宅を回りました。「震災後初めてお金を使った。普通の生活みたいでいいね」とおっしゃる方。津波で奥さまを亡くされ、「何を買っていいか分からない」と言う年配の男性。仮設住宅で引きこもり、「生協さんが来るから出てきたよ」というおばあちゃんもいました。

津波に襲われた、いわて生協の配送施設である支部には、全国の生協の仲間が駆けつけ、泥のかき出しをしてくれました。しかし、「またここでやっていけるのだろうか...」という不安もありました。それほどに、地域は破壊し尽くされて、絶望的な状況でした。少しずつ生活が復旧し、今は、仮設住宅での「ふれあいサロン」や、在宅避難者からの要請に応じた物資のお届けなどが主な活動になっています。最初に活動拠点の支部の周りをきれいにしてもらえたから、こうして活動ができていると、今あらためて感謝の気持ちでいっぱいです。

仙台ボランティアセンター長も務める、みやぎ生協理事・高橋朋子さん。

高橋(みやぎ生協):震災当日、家の近くの店鋪の様子を見に行きました。停電でレジも使えない中、自家発電で明かりを確保し、100円や200円など切りのいい価格で、職員が組合員に懸命に商品を供給していた姿が印象的でした。
組合員活動としては、避難所で必要なものを聞き、それを集めてお渡しする活動から始めました。その後、全国からたくさんの支援物資をいただいたり、近所から集めたりしながら、チャリティーバザーを数度にわたって開催しました。
被害の大きかった、みやぎ生協・六丁の目店(仙台市若林区)では、4月末から店の前での販売が始まりました。店舗再開の期待を込め、みんなが元気になれるイベントをと、お祭りを2回開催し、8月20日、ようやく店の再開にこぎつけました。仮設住宅での「ふれあいお茶会」、被災者を招いてのチャリティーコンサートなど、さまざまな活動を継続して行っています。

渡邊(コープふくしま):私が理事として担当するのは、福島県相馬市と南相馬市を中心とする相双(そうそう)支部です。南相馬市は東京電力福島第一原子力発電所から近く、緊急時避難準備区域に指定されています。津波の被害や放射性物質の影響から、一緒に活動していた仲間も半分は避難しました。
そんな中、少しでも食料をお届けするため、3月28日に相馬市で青空市を開催しました。生鮮食品の入手が困難でしたが、本部になんとか調達してもらい、冷凍食品の野菜も使いながら豚汁を振る舞うことができました。その後、放射性物質学習会や生産者支援に取り組み、仮設住宅での茶話会は、現在も継続して取り組んでいます。そして、福島に住み続けられるように、放射性物質の除染作業を積極的に推し進めようとしています。

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全国からの被災地支援に感謝

いわて生協理事・飯塚郁子さん。移動販売で仮設住宅を回り、食料を届けた。

齋藤:今回の大規模災害では、日本生協連がコーディネートし、全国の生協から多くの被災地支援が行われました。被災地では、そういった支援はどのように映りましたか。
飯塚:岩手県内ではコープさっぽろやコープあおもり、秋田県北生協をはじめ、全国の生協のさまざまなトラックが走りました。組合員の中には、「日本全国にこんなにたくさんの生協があるとは知らなかった」と驚いていた人も多くいました。
CO・OP共済のお見舞い活動でも、全国から支援に来ていただき、その対応が素晴らしいと、たくさんの感謝の声が届きました。「どうしてあんなに親切にできるのか。自分もセールスの仕事をしているが、あんなふうに仕事をしてみたい」と感動の気持ちを直接伝えにきてくれる方もいました。

高橋:全国の生協から多くの支援物資が届き、避難所でも生協の商品がたくさん配られているのを実感しました。今でも、「○○生協のあの商品がおいしかった」など、全国の生協の名前を耳にすることがあります。また、コープこうべのボランティアバス先遣隊をはじめとして、多くの生協職員が、宮城県に駆け付けてくれました。生協のつながりの素晴らしさを実感しました。
渡邊:私のいる地域は、放射性物質や津波の影響から避難した人が多く、組合員世帯数は約6分の1以下まで激減してしまいましたが、全国の生協の皆さんから仲間づくり活動を助けていただき、今は4分の3近くまで回復しました。
さいたまコープには毎月2回のペースで、南相馬市の仮設住宅でふれあい喫茶を開催してもらっています。また、コープおおいたには、子ども保養プロジェクトを開催してもらい、福島の子どもが自然に触れる機会をつくってもらっています。

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復興までの道のりを見守っていてほしい

コープふくしま理事・渡邊洋子さん。「放射性物質は、福島県だけの問題ではない」と語る。

齋藤:被災地に直接行ったり、募金をしたり、全国各地に避難する被災者に手を差し伸べたり、被災地支援の形はさまざまです。今後、全国の生協に、どのような支援を期待しますか。
飯塚:全国の皆さんにお伝えしたいのは、「手を離す」ことはしてもいいですが、「目を離す」ことはしないでほしいということです。「手を離す」 ことは自立につながりますが、「目を離す」ことは見放すことです。全国の皆さんが見守っている、そしていざというとき助けてくれる。そんな温かいまなざしを感じながら復興に取り組んでいきたいです。

高橋:時間がたつにつれ、少しずつ震災が過去になっていきます。私自身も、ふとした拍子に、震災を遠い昔のように感じます。そんなときは、まだ震災の傷痕が残る荒浜の景色を眺めます。支援団体の数も少しずつ減っていき、マスコミの被災地報道も少なくなってきています。だからこそ、地域に根差した活動をする生協は、被災地を忘れず、応援の気持ちを持ち続けて、長く被災地の支援を続けていってほしいと思います。
渡邊:福島県は、地震と津波の被害に加えて、放射性物質の問題を抱えています。お願いしたいのは、学習会を開催するなどして、正しく理解していただくことです。現在、放射性物質は、福島以外の場所にも飛散し、福島県だけの問題ではなくなっています。多くの人に正しい知識を持ってもらい、報道に翻弄されないでほしいと思います。それが結果として、福島を救うことにつながります。

被災地での生協の活動、そして、これからの生協の在り方について考えた座談会。

齋藤:被災地へ支援に来られた方の感想文を拝見し、支援活動は、支援する側もされる側も、ともに人間として高め合えるものだと感じました。また、皆さんのお話を伺って、「人は一人では、人として豊かに生きられない。だからつながりが必要である」ということをあらためて思いました。
震災復興には10年以上かかるといわれています。今後も全国の生協に、継続した被災地への支援活動をお願いできればと思います。そして万が一、次の災害が起きたときに備え、全国の生協の「つながりの力」を、より生かせる仕組みづくりが必要だと切に思いました。本日は、ありがとうございました。

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