コープこうべでは、毎年1月17日に、阪神・淡路大震災の追悼行事を行っています。大震災から17年を迎える2012年も、1月17日を決して忘れず、未来へ伝えていくため、様々な行事が催されました。
1月17日(火)は、震災モニュメントや震災後の街づくりの様子を見る「震災モニュメントウォーク」や、全店舗での一斉黙とう、コープこうべ生活文化センター内にある鎮魂碑前での「鎮魂式」などが行われました。
1月11日〜18日には、同センターで「阪神・淡路大震災メモリアル展」、また、1月の1カ月間は、国内外で発生した自然災害に迅速に対応するための「コープこうべ災害緊急支援基金(ハート基金)」集中募金活動を実施しました。
震災の記憶を後世に伝えていくことを目的に神戸の街をめぐる「震災モニュメントウォーク」。今回は、東日本大震災で被災されたみやぎ生協の組合員と役職員10名を招きました。
みやぎ生協からの参加者は、県北、石巻、仙台、仙南のボランティアセンターでそれぞれ活動する方々、そして、コープこうべからは45名が参加しました。
序盤は、三宮駅から南へ、震災モニュメントが多く並ぶエリアを、ガイド役を務めるコープこうべ職員の林 律子さんの説明に耳を傾けながら歩きました。
東遊園地(公園)に入ると慰霊イベントが実施されており、献花をしたり、手を合わせる人で埋まった公園は、厳粛な雰囲気。17年たった今も、1月17日が特別な日であることを感じさせました。
次に、広域避難所にも指定されている神戸震災復興記念公園へ。東北の復興に向け、災害に強い街づくりをめざしていく中で、みやぎ生協の組合員の方々に、街づくりの事例を見てもらおうと選ばれたスポットでした。
ただ、今回の津波で、「避難所が海に近い位置でいいのか」という意見もでてきているとのこと。東日本大震災は、神戸に住む人々に、もう一度震災への備えを意識させる機会となっているようです。
後半は、みやぎ生協とコープこうべをつなぐ、生協運動の父・賀川豊彦ゆかりの地を巡りました。
「震災からまだ10カ月。すぐ先のことを考えれば不安は尽きないと思います。でも、もっと先、17年ぐらい先の未来のことを考えることが気分転換になるかもしれない。そうあって欲しいという思いで、今日はご案内しました」と、ガイド役の林さんは話されました。
こうして、1時間45分、2キロに及ぶモニュメントウォークは終了しました。
モニュメントウォークの後は、コープこうべ生活文化センターで「きずな交流会」が開かれました。
コープこうべでは、みやぎ生協組合員によるボランティア活動を継続して支援していくため、みやぎ生協の4地域のボランティアセンターに対し、コープこうべ側が担当する地区をそれぞれ決めて支援しています。そのため今回、コープこうべが昨年10月に「地区交流先遣隊」としてみやぎ生協に訪問した際と、同じ人が同じテーブルで顔をあわせ、交流を深めました。
コープこうべ広報室の松田ひとみさんは、「同じ宮城県でも、地域によって状況は違う。コープ対コープの関係だけではなくて、互いにより事情が分かり、顔の見えるコンパクトな輪をつくろうとしている」と言います。
今回で会うのは2回目ということもあってか、みやぎ生協の方から「高齢、単身の男性に仮設住宅の集会に参加してもらうには?」「ボランティア要員の絶対数が足りない場合は?」など、具体的な質問が飛び、それに対し、コープこうべの方々は自分たちの豊富な経験を伝える、実践的な交流会となりました。
交流会では、みやぎ生協組合員から、コープこうべ組合員に向けた“絆”メッセージが贈られました。
コープこうべでは「キモチつながるプロジェクト」として、みやぎ生協組合員への応援メッセージを募り、10月に約2,000通の応援メッセージを届けました。
みやぎ生協では、贈られたメッセージを、仮設住宅にお住まいの宅配利用組合員や、「ふれあい喫茶」の参加者などに手渡し、そのお返しとして、返信の“絆”メッセージ約1,600通をすでにコープこうべへ届けています。今回の「きずな交流会」では、みやぎ生協からコープこうべへと、改めてメッセージが手渡されました。一つひとつに、大切な言葉が込められています。
閉会のあいさつでは、コープこうべの山添 令子常勤理事より「先は長く、活動を続けていくと、これからもたくさん問題は出てくるでしょう。それでも、私たちはいつでも、いつまでも、相談に乗ります。好きなだけ頼ってください。焦らずに」と、被災経験を乗り越えてきた方ならではの経験に基づく力強い言葉が送られました。
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