復興に取り組む生協からの声〜生協にできること〜 【第2回】いわて生協・マリンコープDORA 皆さん本当にこの店を頼りにしています。店を開け続けることが私たちの役割。

現場の判断で、店を緊急の避難所に

岩手県沿岸部に位置する宮古市。市街地は津波の直撃を受けた。JRと三陸鉄道の2つの駅が並ぶ駅前は、一見、何もなかったかのように見えるが、すぐ東側から港へと伸びる商店街は真っ黒な泥にまみれ、その先には家の残がいやがれきが残る、悲惨な光景が広がっていた。
いわて生協のショッピングセンター、マリンコープDORA(ドラ)は、駅から南西方向、高台への途中にあったため、幸い津波の被害は免れた。だが、同じ地域がこれだけの災害に遭った中で、店を運営し続けることは困難の連続だったという。「何度も心が折れそうなった」と言うのは、統括店長 菅原則夫さんだ。

いわて生協のマリンコープDORA。沿岸部のスーパーが大きな被害を受ける中、地域にとって数少ない頼れる店となった。

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いわて生協・マリンコープDORA 統括店長 菅原 則夫さん

いわて生協・マリンコープDORA
統括店長 菅原 則夫さん

「安否が確認できなかった最後の職員が無事だったことを知った時は、泣いていいのか、連絡がとれなかったことに怒っていいのかわからなかった。」と語ってくれた。職員の無事がわかった瞬間、思わず涙が流れたという。

店舗所在地/
岩手県宮古市小山田2-2-1

3月11日の地震発生後、来店者や職員を全員高台の駐車場に避難させた。市街地方向から、泥にまみれ藻を絡ませた車や、ずぶ濡れになった人が逃げてくるのを見て、被害が尋常ではないことを知る。だが、全貌はまだ分からなかった。
避難した駐車場には300人ほどが集まっていたが、市街地への道はすでに遮断され、家に帰れない人も出てきた。東北の3月の冷え込みは厳しく、屋外で夜を過ごすわけにはいかない。建物の損傷が不安だったが、午後6時、菅原店長は思い切ってみんなで店内に戻ることにした。
2階の会議室を緊急避難所として開放し、ここに組合員と職員約100人が宿泊した。しかし、余震のたびに駐車場への避難を繰り返し、とても眠れる状況ではなかったという。

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本部との連絡が途絶えたまま、殺到する被災者に供給を続けた

野菜や果物が比較的豊富にあったため、それが来店者の安心にもつながったという。

まんじりともしないまま迎えた12日の朝が、闘いの始まりだった。オープン前の店には1,500人もの人が並んでいたのだ。
「皆さん困っていました。と言っても、余震が続く中で暗い店に入るのは不安ですから、店頭販売ですね。売れるものを店から出しては現金で販売していきました」と菅原店長は語ってくれた。
13日には電気、水道が回復し、レジも使えるようになり、店内を片付けて何とか店内販売に切り替えた。だが、並んでいる人は相変わらず多く、入場制限と購入制限で何とか乗り切った。どの人も、モノ不足への不安に加え、寒空で待たされ、明らかにいら立っていた。

依然として本部をはじめ、どことも連絡がつかなかった。電話もメールも使えず、職員の安否確認さえままならない。商品がいつ入荷してくるのかも分からなかった。
電気が回復してテレビがつき、初めて被害の甚大さを知った。宮古市でも多くの家が流され、大勢の人が避難所に向かっていた。店に買い物に来ることのできる人の多くは、家が無事な人たちだ。もっと困っている人のために何かしたい。もどかしい気持ちを抑えて、仕事を続けたという。
「本当に大変な人のために何かしたいが、できなかった。それが一番つらかった」と菅原店長は悔しさをにじませた。

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入店する際、靴底の汚れを落とす案内をするボランティアの高校生。

秩序を保つことが最大の課題だった

その後も困難は続いた。
店の2階には家に帰れない組合員や職員が残っていたが、余震で夜もろくに眠れず、初めの3日間は皆、睡眠1〜2時間ほどだったという。菅原店長もその1人だった。
それでも入場制限しながら店を開け、全員で殺到する人のレジ打ちに集中した。商品が入れば店をいったん閉めて全員で入荷、陳列にあたった。それを繰り返し、何とか店の運営を続けた。
「レジ袋が不足するので買い物袋を持参して」「余震で避難する際に危険なので、必要な人以外はカートの使用を避けて」「入り口で靴底の泥をしっかり落として入店を」。そう放送しながら運営を続けた。秩序を保つことが最大の課題だったという。

宮古高校や宮古商業高校のボランティアのみなさん。

忍耐強く店の運営を続けていたある日、ついに菅原店長の堪忍袋の緒が切れた。店外に並ぶ人から「早く開けろ!」と怒鳴られ、思わず、「店はボランティアの人たちにも手伝ってもらって頑張ってやっている。待つぐらいは何でもねえべ。それくらい我慢しろ!」と拡声器で怒鳴り返したのだ。
避難所で暮らして店に来ることすらできない人がいるのに……。口にしてはいけない言葉だったのかもしれないが、それを機にボランティアの申し出が増えたという。「真意を理解してくれたことがうれしかった」と菅原店長。
そのような中、地元の高校生ボランティアたちが、購入制限商品の脇に立ち、ともすれば「我先に」と殺気立つ店内で、「おひとりさま1個限りです」と案内をしてくれた。来店した人方たちも次第に落ち着きを取り戻していったという。

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宮古コープの理事さんらが店内に設けた「生活物資交換」コーナー。持ち込みや持ち帰りが自由で、衣類や食器などの交換が進んだ。

今後は店を悩みを語り合える場に

「泣かないように頑張りました。とにかく全職員の安否が確認できてよかった。沿岸部では多くのスーパーが流され、皆さん本当にこの店を頼りにしています。店を開け続けることが自分たちの役割と、今は迷いもふっ切れました」と菅原店長は語ってくれた。
長期化する復興の中、「今後は店を、悩みを語り合える場にしたい」と語っていた。

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