復興に取り組む生協からの声〜生協にできること〜 【第1回】被災から18日間のみやぎ生協大代店の歩み 今、この地域で商品が買えるのは生協だけ。みんなが困っているなら協力してお店を開けるだけだよ。

道の脇に延々と続く、ボロボロになった車。

2011年3月11日午後2時46分、東日本大震災発生。
マグニチュード9.0というかつて無い巨大地震と、
海岸の街をのみ込んだ大津波。
多くの被災者を出し、多くの暮らしを奪っていった。

仙台の中心街から車で40分ほど東に行くとある、宮城県多賀城市。海岸からほど近いこの街も津波の被害は甚大で、石油コンビナートからは火災も発生した。取材を行ったのは、震災から18日後の3月29日。多賀城市に入り国道を進むと、目の前に広がるのは、倒壊した家屋の瓦礫や流されてつぶれた車の山。震災発生から18日が経過した時点でも、津波による大きな爪痕を色濃く残したまま、大震災の恐ろしさをまざまざと物語っていた。

ページのトップへ戻る

「この地震の恐ろしさを改めて思い知った」

みやぎ生協大代店 店長 吉田武雄さん

みやぎ生協大代店
店長 吉田武雄さん

宮城県の流通の中心でもある多賀城市で、多くの組合員さんに愛され営業している大代店。普段は口数の少ない吉田店長だが、震災発生からこれまでの店舗の復興状況を丁寧に語ってくれた。

店舗所在地/
宮城県多賀城市大代5-4-30

道の脇に延々と続く、ボロボロになった車。

この震災の影響が大きい多賀城市に店舗をかまえるみやぎ生協大代店の被害もまた大きいものだった。

大地震が発生した当日、休暇中でお店に不在だった吉田店長は「かなり大きな揺れに驚き、一瞬何が起こったのか分からなかった」と言う。そして我に返り「お店のこと、組合員さんのこと、職員のことが心配になった」と続けた。地震発生から3時間程経つと、津波の水が引きはじめたので、車を走らせてお店へ向かった。いつもと通う通勤風景の変わり果てた姿を見て、不安と恐怖で胸が締め付けられたと言う。なんとかお店に辿りついて店内に入ると、辺り一面の真っ黒な泥と散らばった商品を目の当りにして「この地震の恐ろしさを改めて思い知った」と語る。

そして、店舗2階に上がると、津波から逃げてきた地域の人たちと職員も含め60人程いたという。
地震発生時に働いていた職員いわく「みんなを急いで2階の集会室に避難させようと思ったけど、地震で鍵が見当たらなくて、ガラスを割ってなんとか鍵をあけて避難したんだよ」と、2階の休憩室のドアを見ながら話してくれた。
「避難してきた地域の人たちのために、その場でよく判断してくれたね」と吉田店長は続けた。

ページのトップへ戻る

寒い中、組合員さんたちと一緒に避難していた店舗2階の部屋。

「なんとか商品をみんなに届けられないか」

地震発生当日は夜遅くまで津波警報が続き、さらに道路が至るところで通行止めとなり、その場にいた人たちは家に帰ることができず、2階の部屋で避難を続けることに。
まだまだ冬の寒さが残る3月の東北地方。電気もガスも止まってしまい雪が降る中、毛布にくるまって身を寄せ合いながら耐えた。しばらくは電話も通じず、テレビも見られないため、情報が全く入ってこない。みんなの不安がつのっていく中、吉田店長たちは1階から泥のかぶっていない商品を取り出してきて、みんなで分け合い、そして励まし合ったという。

大きな揺れで、商品も棚もバラバラに散乱していた。/店内の片付けで服についた泥を流し合うパートさんたち。

避難勧告が解除された翌日からも、家の被害が大きかった人たちは店舗2階で避難することに。 その間もなんとか商品を取り出しみんなで分け合った。そのような状況の中で吉田店長は「ここはお店だから泥はかぶっていても商品はあるが、地域のみんなは食料が尽きてしまう。なんとか商品をみんなに届けられないか」と考えたという。同じ地域の他の食料品店が被害で閉店する中で、吉田店長たちは開店に向けて動き出したのだ。

散乱した商品や棚、泥だらけの店内を見渡して「最初は何から手を付けて良いか分からなかったよ」と吉田店長。それでも「地域の人たちのためになんとかしたい」という思いから、まずは使えるかごや棚をお店の外に出して泥のかぶっていない商品を並べ、駐車場で販売を開始。
レジが使えないため、100円や150円といったように計算しやすい値段設定にし、みんなに商品が行き届くよう数量限定にした。
この販売スタートは、震災発生からたった3日目のことだった。地域の食料に困っている人たちが600人以上も列をなすのを見て「もっとみんなに商品が届けられるようにしなくては」と決心したという。

震災から9日で野菜や果物がなんとか並べられるようになった。/食料品だけではなく、タオルや下着などもとても必要な商品。

そして次に取りかかったのが店内の片付け。
職員みんなで泥だらけになりながら作業した。
「みんな不満も言わず、本当によくやってくれている」と吉田店長。この地域で暮らす職員なので、自分の家の片付けだって大変なはず。それでも、お店を開けるためにみんなで協力した。

店舗の一画にスペースを作れるようになった頃、全国各地の生協からの協力のもと、待望の商品が届くようになった。野菜や果物、牛乳など今みんなが本当に必要としているものばかりだ。全ての生協が一丸となってネットワークを生かし「被災地の人々を支えたい」という想いが形になった瞬間だった。

被災から9日目の3月20日。吉田店長はじめ職員全員のがんばりと全国の生協の支援が実り、一画ではあるが店内販売をスタートすることができた。職員の中には手話が出来る人もいて、それぞれが出来ることをみんな進んでやっている。「みんな助け合ってくれて、本当に頼りになるよ。」と吉田店長は誇らしげに話してくれた。地域の人たちの買い物をする姿や声援が何よりもの原動力となった。

ページのトップへ戻る

「みんなが困っているなら協力してお店を開けるだけだよ」

吉田店長、職員さん、パートさんが懸命になって作り上げた店内の一画。

自分の身を守るだけでも大変な状況の中、なぜそこまでがんばれるのですか?と伺うと、「なんもそんな大それたことじゃない。ちょうどこんな状況に居合わせただけさ。」とさらりと言い、そしてこう続けてくれた。「今、この地域で商品が買えるのは生協だけ。みんなが困っているなら協力してお店を開けるだけだよ」と。

想像を絶する不安と苦労の中でも、地域の暮らしを支えていきたいという想いが吉田店長を復興へと突き動かしていた。
「まだ今は店舗の一画でしかないけど、少しでも早く売場を広げてお店を復活させるよ」そして「本当の復興はこれから。地域のみんなの暮らしのため、気長にがんばっていくさ」と作り上げた店内を見渡しながら語る吉田店長の目には涙が浮かんでいた。

ページのトップへ戻る

トップページへ戻る

  • facebookページ
  • くらしの応援募金の取り組み 被災地のくらしの復興に向けた
取り組みを支援します。 募金の詳細はこちら