2011年3月11日に発生した東日本大震災は、マグニチュード9.0の大地震と、その後の巨大津波によって、東日本の広域にわたって甚大な被害を及ぼしました。
さらに、震災と津波は、東京電力福島第一原子力発電所の事故も引き起こしました。
東日本大震災における被害は、広域なエリアに及び、生協では、多くの「人的被害」や「物的被害」を受けました。
「人的被害」では、死亡・行方不明など、大勢の組合員や職員、その家族、大切な人が犠牲になりました。
「物的被害」としては、東日本太平洋側の生協を中心に、本部、店舗、宅配センターなどの施設や、各事業連合などの物流施設も大きな被害を受けました。店舗の壁落ちや天井の落下、商品の散乱などは、関東地方を含めた広範な地域に及びました。また、多くの組合員や生協職員の自宅も全壊、半壊などの被害を受けました。
発災直後、被災地生協の本部では、通信手段を絶たれながらも、必死に現場の状況把握に努めました。本部と連絡がとれず孤立した店舗や宅配センターでは、職員の臨機応変な対応で、復旧作業を進めながら商品を供給し続けました。
日本生協連では、発災当日の夜、関連会社のシーエックスカーゴ桶川流通センターより、水、食料などの支援物資を積んだ大型トラック4台を出発させ、翌3月12日朝には仙台市内のみやぎ生協に到着しました。その後、続々と全国の生協からの支援物資が、被災地生協に届けられました。
また、被災地のCO・OP共済契約者に一刻もはやく共済金・異常災害見舞金を支払うための請求受付をする大規模な訪問活動を全国の応援者と共に展開しました。全国の組合員のお見舞いの気持ちも折り鶴に込めて一緒に届けました。当時の活動はコープ共済連のホームページで紹介されています。
被災地生協は、自らも大きな被害を負いながら迅速に事業を復旧させ、地域に商品を供給し続けました。また、震災直後、十分な食料が行き届かず不自由な生活を強いられた被災者を支えるため、避難所での炊き出しやおにぎりなどを届ける支援活動も展開しました。
その後、ボランティアセンターを立ち上げ、全国の生協から支援者を受け入れ、家屋の内外の片付けや泥の撤去作業などを行うことで地域の復興を目指しました。
さらに、買い物に不自由する方々を支援するため「移動販売車」や「買い物バス」を運行し、避難所やお店が近くにない地域で暮らす被災者の日々の生活を支える取り組みも行いました。
一方、発災後1年間で全国の組合員から寄せられた義援金と生協からの見舞金を合わせた募金額は42億円にのぼり、被災者の生活再建やくらし復興に役立てられました。
避難所や仮設住宅での生活が長期化する中で、被災地の生協と全国の生協は、仮設住宅でのサロン活動といった人びとが集まる場づくりや支援を進めました。新たな地域のコミュニティーを支え、被災者に寄り添いながら、生活の不自由の解消に努め、最後の仮設住宅がなくなるまで息の長い支援を続けました。
福島県では、地震、津波と東京電力福島第一原子力発電所事故により、多くの人が避難し、慣れない地での生活をスタートさせました。全国の生協では、このような広域避難者の方々に、支援物資を提供したり、地域住民と交流できる場を提供したり、物心両面からの支援を行いました。
被害を受けた事業者や生産者は、さまざまな支援により立ち直り、事業継続を実現させていきます。それに応えるように、全国の生協では、被災した地域の産品を「買って支える」取り組みを広げていきました。
福島県産品の風評被害が深刻化する中で、全国の生協では、生産者や組合員との交流会を実施し、風評被害を防ぐために正しい情報を伝える機会を設けました。また、それぞれの地域で福島県産商品を買い支える応援を広げていきました。
コープ東北サンネット事業連合(※)においては、東北の6県のよりすぐりの食材や加工品から作る新ブランドを立ち上げ、東北の食の魅力を全国に発信する試みも行っています。生協は、事業者や生産者と共に、真の復興に向けて長い道のりを歩んでいます。
※ コープあおもり、青森県民生協、いわて生協、コープあきた、生協共立社、みやぎ生協・コープふくしま、コープあいづ。
福島県を中心に、東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う放射性物質による汚染の不安は、今もなお続いています。
コープふくしま(現:みやぎ生協・コープふくしま)では、自治体が行う除染ボランティアの登録窓口の役割を担い、地域での除染活動を始めました。除染カーの導入や、除染を手掛ける専門部隊を立ち上げ、安心して暮らせる地域を取り戻す活動を進めてきました。
また、日本生協連商品検査センター(埼玉県蕨市)では、全国の生協とコープふくしまの協力を得て、福島県の家庭の食事に含まれる放射性物質の摂取量調査を実施してきました。科学的な根拠に基づいた安全・安心の情報を、被災地域で暮らす人びとに届け続けています。
放射線によって汚染された地域の子どもたちは、自由に外遊びができなくなりました。そんな子どもたちのために、福島県生協連の呼びかけで始まったのが、「福島の子ども保養プロジェクト(愛称:コヨット!)」です。これは、放射能によるさまざまな制約がある日常生活から離れてのびのび過ごす心身のケアの取り組みです。全国の生協が一丸となって取り組んできた結果、2020年3月末現在、1,826企画、延べ86,016人の子どもが参加する一大プロジェクトに発展しています。
日本各地で、毎年のように災害が起こり、どこがいつ被災地になってもおかしくはありません。そのような中で、全国の生協では、被災地生協が得た教訓を、自分たちの地域に生かそうと試みてきました。
被災地の人びとからの、「被災地を見に来てほしい」「二度と同じ不幸を起こさないで」、そんな声を受けて、全国の生協では組合員と共に訪れる被災地見学ツアーを実施しました。また、被災地の方々を自分たちが暮らす地域に招いて、震災の教訓を話してもらうケースもありました。
日本生協連と全国の生協では、東日本大震災における災害対応において出来たことと出来なかったことを教訓化し、それぞれの役割分担や物資支援の連携方法を整理した全国生協大規模災害連携計画(全国生協BCP)を策定しました。
過去の災害対応を教訓化し、未来に生かすために、その後も大きな災害などが起きるたびに改定を重ねています。
2021年2月19日にオンラインで開催した「東日本大震災を忘れないつどい~3.11から10年~」では、被災地生協のこれまでの復興の取り組みと次の災害に備え継承すべき教訓を学びました。
みやぎ生協が立ち上げた「東日本大震災学習・資料室」では、震災の体験と、みやぎ生協の取り組みを後世に伝えることを目的に、写真や動画、関連資料が展示され、誰もが自由に訪れることができます。
Webサイト「東日本大震災からの復旧・復興をめざして」では、震災直後の災害対策本部、店舗、共同購入、共済の職員などが、どのように判断して行動したのかが、現場の写真とともにまとめられており、今後の災害にいかに備えるのかという多くの学びが詰まっています。また、阪神・淡路大震災を経験したコープこうべと共に、震災の教訓を冊子「将来の“自然災害”に備える こうべ&みやぎからのメッセージ」にまとめています。
コープふくしまでも、東日本大震災における福島の復興、再生、農業風評被害克服、被災者支援など、これまでの原発事故に向き合った6年間を本にまとめています。
私たちは、甚大な被害をもたらしたこの東日本大震災を決して忘れてはなりません。
被災地への物資提供や災害ボランティアセンターの運営、サロン活動など、多岐にわたって生かされた「つながる力」こそ、東日本大震災で得られた教訓です。
この震災の記憶を風化させず継承し、これからも助け合い支え合える地域社会を共につくっていきましょう。
東日本大震災の概要や復旧・復興の取り組み、そして地域や諸団体との連携について、これまでの取り組みをまとめました。本誌が東日本大震災とその経験を語り継ぎ、未来への備えとなることを希望いたします。
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